ついに来ました 高雄
※MRT「美麗島」駅構内の「光のドーム」。確かにインスタ映えする場所です。
さて今日は、昨日予定したとおり、南の高雄へ。台湾滞在最後の日々を、連日精力的に移動しまくっているのです。
本日は大急ぎで報告します。
午前7時半台中発の高鉄列車に乗り、南へ南へ。
車窓の景色は全体に、白く煙っています。私の住む台中も同じです。「晴れ渡る青空」なんてことは、ありません。いつも景色が白く霞んでいます。
しかし台南を過ぎたあたりから、空が晴れてきました。終着駅「左營」につく頃には、ほぼ快晴。台湾に来て、始めて見るような青空です。天気予報もはずれ。私の日頃の正しい行いのおかげです。定刻8時40分到着。
本日私が高雄で立ち寄る先は、地下鉄美麗島駅にある光のドーム (円蓋) 、そして高雄港が見渡せる場所の2か所だけです。市内には、面白そうな場所がたくさんあるのですが、今回は最小限にしました。
左營駅構内の旅遊服務(観光サービス)コーナーで、「高雄港が見える場所に行きたい。ついては英国領事館跡に行く予定だ」と話すと、ボランティアらしき小姐から「それなら忠烈祠の方がいい」とのアドバイス。なぜなら「忠烈祠の方が(場所が)高いから」。そこで、行き先を切り替え。
まず、少し歩いてMRT(地下鉄)左營駅へ。乗ると10分で美麗島駅に到着。ここは二つの路線が交差する乗り換え駅であり、私の行き先は要乗り換えなので、ここで降ります。
美麗島駅に限らず、高雄のMRT駅はどこも広々としています。広すぎて、(こんなに大きなものをつくって、今後の維持費は大丈夫?)という気がしないでもありません。東京のチマチマしたつくりの国電駅や地下鉄駅を見たら、高雄市民は何と言うでしょうか? まるでミニチュア?
本日の画像にアップした「光のド-ム 」は、地下1階の改札機を出てすぐの広場にあります。広場の中央に二本の柱が立ち、この柱が大きな天蓋を支えるかたちをしています。
この場所はきれいなのですが、美麗島駅の構内は銀の金属色の壁が延々と続き、大規模だが殺風景な病院のようです。行ってみないと分からないものです。
(☜ところでこの「美麗島」(=フォルモーサ ☜これは「台湾」の代名詞でもあります。)という駅名、1979年に高雄市で起きた「美麗島事件」から名付けられた、とのことです。こうした政治色の強い事件を駅名に採用するとは、やや不思議な気もします。)
乗り換えて、終点の西子湾駅へ。ここで降りてタクシーを拾い、丘の中腹の忠烈祠へ。忠烈祠敷地の端にある展望テラスには、すでに地元の高齢者グループやカップルがいて、港を見下ろしながら語り合っていました。私のそばでは、父親が連れてきた一人の女の子が、最近覚えたらしい歌を、繰り返し繰り返し歌っていました。歌声は、広々とした景色のなかに溶けていきます。それにしても、この歌、よほど気に入ったんだな。
忠烈祠から眺め渡した高雄港(☜2019-06-04「まとめると(1)」画像を参照のこと)も、白く煙っているようでした。湾内には、大型船があちらこちらに。港の全景を納めようとしても、私のデジカメでは、ワンショットの画面に入りません。しかたなく、カメラの角度を少し回して2枚の画像に分割撮影。港に接する陸側の地区には高層ビルがにょきにょきと建ち、ここから見る高雄の街は近代的な雰囲気です。
さて忠烈祠を後にして、次は、最初に行く予定だった英国領事館跡に移動。最初は忠烈祠から丘の中腹に沿って伸びる道をてくてくと歩いていたものの、陽の光はかんかん。気温はどんどん上がる気配。中山大学前の大きなUカーブを越えると、道はようやく港に下り始め、港沿いの道まで出ましたが、さて、目指す英国領事館までこの後どれだけ歩いたらいいのやらが分かりません。なによりも暑いので、結局、タクシーを拾いました。
英国領事館(☜正確には、領事が住む邸宅です)跡は、高雄港と外洋をつなぐ出入口のすぐ脇にある丘の頂上にあります。私が乗ったタクシーが停まったのは、その丘の裏手、外洋を望む場所で、丘の頂上の領事館跡を見物するには、まず斜面の階段を登らなければなりません。数十段の階段を登り切ると、なぜか正面に道教のお寺が登場します。私はてっきり登る経路を間違えたのかと思ったら、その寺のすぐ隣りが、目的地の英国領事館の敷地なのでした。
領事館跡のゲートでは、しっかりと入場料を徴収します。高齢者は安くしてくれます。
打狗(ダーゴウ)英国領事館跡は丘の上という、絶好のロケーションにある、瀟洒な赤レンガづくりの、絵になる建物です。こぶりの赤いバラが広がる庭も、手入れされてきれいです。外洋を見下ろす場所に立つと、左右から伸びた堤防の間を大型船が出入りする様子が見えます(☜あの名曲『冬のリビエラ』の歌詞を想い起こす場所です!)。領事館内部は、一部が歴史紹介コーナーになっています。
この領事館跡を見終わると、次は丘の下の領事館(☜こちらは本来の領事館)に移動します。つまり、丘を降ります。この降りる階段がまた、けっこうな急勾配です。階段の山側に、つたうための壁はあるものの、手すりは両側ともにありません。率直に言って、足腰の弱い高齢の方にとってはややきつい、危ない階段だと思います。こうしたことは、ネット上の領事館跡の紹介記事や訪問録を読んでも書いてありません。実際に行ってみないと分からないものです。
当時のイギリス人は、丘の下の領事館で仕事をし、丘の上の邸宅に住んだとのことですが、当時の状況でこの標高差を毎日通勤するのは、それだけでかなりハードなことだったのではないかと想像します。
あとは帰宅です。
港沿いの道のバス停に立ってバスを待っていると、(だんな~、どう? 乗らない?)と低速でタクシーが目の前を通過していきます。とにかく暑いので、ただちにバスからタクシー利用に変更し、MRT西子湾駅へ。地下鉄に乗る前に、到着時に目をつけておいた、駅の出口近くの快餐店(☜2019-06-03「帰国」の画像)で遅い昼食。海のそばの街なので、肉系よりやはり海鮮系のメニューが多い気がします。午前中にのぞいた時、数十種類も並んでいた副采はあらかた食べつくされていましたが、それでも、残りものに福あり。十分おいしい昼食でした。この昼食だけでも、高雄に来た甲斐がありました。
高鉄列車で16時前に台中到着。初めて高鉄台中駅からアパート近くまで公車(市内バス)に乗りました。
台湾のあちこちを見て回るのは、これで終わり。見ていないところがたくさんあるものの、時間がありません。
明日はこのアパートを退去します。
今日はこれまで。